動物の権利を真面目に考える

動物の権利論関係の文献(日本語・英語・仏語)の読書メモ、紹介。

Alasdair Cochrane (2013) From human rights to sentient rights (「人権から有感動物の権利へ」)の紹介④(感想)

 以下は、Alasdair Cochrane (2013) From human rights to sentient rights (「人権から有感動物の権利へ」)の簡単なまとめです。

 この論文の内容は3回にわたり紹介したので、詳細に興味がある人はそちらをどうぞ。

 以下は私自身の備忘録的なコメントですが、こちらだけ読んでも論文の内容が何となくつかめるかもしれません。

感想

 著者のように、権利の利益説を採用し、また、感覚を持つ存在は利益を持つ(ことができる)ことから、動物の権利を主張するという展開は、動物倫理に少しでも触れたことがある人であるならばおなじみのものだろう。あるいは、著者も参照しているファインバーグのような法哲学者の権利論においても同様の主張がなされているように、人外動物を権利主体とする考えは、権利の利益説を一貫させるのであれば、当然の帰結として導き出されるはずである。
 
 しかしながら、人権をめぐる議論、とりわけこれを擁護する議論において、この点が十分に指摘されてきたわけではないのかもしれない。この点については、安藤・大屋(2017)『法哲学法哲学の対話』における「人権」をめぐる対話が示唆的である。


瀧川・宇佐美・大屋『法哲学』有斐閣、2014)においても、「人権」「自然の権利」に関する説明箇所において、権利の利益説が取り上げられ、この立場に立つのであれば「動物は利益をもち、したがって権利を持つといえそうである」(187)とされている。

この論文の独自性は、権利論の枠組みにおいて予想される反論に応えつつ、動物の権利を肯定してみせたことにある。しかも著者は単に動物の権利を肯定するにとどまらず、「人権」という一般的に「普遍的」と見なされている基本概念が内包する閉鎖性という矛盾を指摘し、人権概念を根底において支える考える方を一貫させるとことで、人権概念を遺棄し、「有感動物の権利」として再定義する。この意味で、この論文はとりわけ「人権」を擁護するすべての者たちに向けて書かれていると言ってもいいのかもしれない(以下の引用を参照)。
 

The human rights movement cannot consistently turn its eyes away from the suffering and rights violations of non-human sentient creatures. These creatures are sentient like us; these creatures suffer like us; these creatures have interests like us; and these creatures have basic rights like us. To acknowledge these simple points, human rights should be reconceptualized as sentient rights.